ホスロー5世またはファッルフザード・ホスローはサーサーン朝の君主(在位:631年3月-4月)。ホスロー2世の息子であった。

生涯

ファッルフザード・ホスローはホスロー2世の息子として産まれた。父のホスロー2世は、シャベスターンという地下室に3000人以上もの側妻を住まわせていたと伝えられており、ホスロー5世の母が側妻の一人だったのか、寵愛した妻のシーリーンだったのかは詳しく分かっていない。ファッルフザード・ホスローにはマルダーンシャー、Juvansher、アーザルミードゥフト、カワード2世、シャフリヤール(ヤズデギルド3世の父)、ボーラーンなど、多数の兄弟がいた。

628年、父のホスロー2世は兄のカワード2世を支持した貴族らにより、廃位された。カワード2世はペーローズ・ホスローに自身の兄弟と異母兄弟全員の処刑を命じた。しかし、ファッルフザード・ホスローはニシビス近郊の要塞に逃げて生き延びた。631年、サーサーン朝の貴族のZadhuyihによりクテシフォンに連れられ、サーサーン朝の君主「ホスロー5世」として戴冠した。しかし、1ヶ月後には反乱に遭い殺害された。

脚注

参考文献

  • Mīr-Khvānd, Moḥammad ibn Khvāndshāh ibn Maḥmūd (1433–1498), Reign of Farrukhzad ibn Khosrau, 1892, Royal Asiatic Society, translated from the original work in Persian by E. Rehatsek.

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